回复: clannad渚线剧本注音计划
朝(あさ)。
目(め)が覚(さ)めてからも、俺(おれ)はベッドの上(うえ)でうだうだとしていた。
古河(ふるかわ)の熱(ねつ)は下(さ)がっただろうか。
また、俺(おれ)を通学路(つうがくろ)で待(ま)っているだろうか。
でも土日(どうにち)で起(お)きた出来事(できごと)は、ふたりの間(ま)に深(ふか)い溝(みぞ)を作(つく)ってしまっていた。
俺(おれ)がそれを感(かん)じているのだから、俺(おれ)以上(いじょう)に人間関係(にんげんかんけい)に敏感(びんかん)なあいつが、同(おな)じことを思(おも)わないはずがなかった。
あいつはその二日(ふつか)で、他人(たにん)を傷(きず)つけるだけの努力(どりょく)をしてしまった。
そして、自分(じぶん)を馬鹿(ばか)呼(よ)ばわりした。
それに対(たい)して俺(おれ)はなんて言(い)った。
朋也(ともや)(ほんと、馬鹿(ばか)だよ、おまえは…)
無神経(むしんけい)な奴(やつ)ならいざ知(し)らず…。
滅法(めっぽう)打(う)たれ弱(よわ)い奴(やつ)だからな、あいつは。
結局(けっきょく)俺(おれ)は、あいつを傷(きず)つけるクラスメイトの連中(れんちゅう)と変(か)わらなかった。
それをあいつも悟(さと)っただろう。
…午後(ごご)から授業(じゅぎょう)に出(で)よう。
そう決(き)めて、布団(ふとん)に顔(かお)を埋(う)め直(なお)した。
昼休(ひるやす)みの間(あいだ)に着(つ)けるよう、俺(おれ)は家(いえ)を出(で)た。
声(こえ)「岡崎(おかざき)っ」
坂(さか)を登(のぼ)ろうとしたところで、呼(よ)び止(と)められる。
…聞(き)き覚(おぼ)えのある声(こえ)。
春原(すのはら)「よう、奇遇(きぐう)じゃん」
春原(すのはら)だった。
こいつも、今(いま)から登校(とうこう)なのだ。
春原(すのはら)「一緒(いっしょ)にいこうぜ」
そもそも…
事(こと)の発端(ほったん)はこいつの一言(いちげん)だった。
こいつに悪気(わるぎ)はなかったのだろうけど…あの乱暴(らんぼう)な一言(いちげん)が。
朋也(ともや)(いや、そもそも…俺(おれ)だってそうだ…)
そういうことを簡単(かんたん)に言(い)ってしまう人間(にんげん)だ。
そんな奴(やつ)らの中(なか)に割(わ)って入(はい)って…
それでひとり勝手(かって)に傷(きず)ついていれば、世話(せわ)ない。
最初(さいしょ)から、俺(おれ)は忠告(ちゅうこく)していたはずだ。
ロクでもない、不良(ふりょう)生徒(せいと)だって。
春原(すのはら)「桜(さくら)、全部(ぜんぶ)、散(ち)っちゃったねぇ」
ああ…それでも…
それを知(し)っていて、中(なか)に入(はい)ってきたのが、あいつだったんだ。
そんな奴(やつ)、あいつしかいなかったんだ。
春原(すのはら)「メシは?」
朋也(ともや)「食(く)ってねぇよ」
春原(すのはら)「なら、鞄(かばん)置(お)いたら、学食(がくしょく)行(い)こうぜ」
朋也(ともや)「ああ、そうだな」
春原(すのはら)「じゃ、急(いそ)がないとね。食(く)う時間(じかん)なくなっちまうよ」
窓の外を見る
ふと、窓(まど)の外(そと)を見(み)た。
青(あお)と緑(みどり)のコンストラスト。そのまま視界(しかい)を下(さ)げた。
そこに居(い)た。
朋也(ともや)(古河(ふるかわ)…)
朋也(ともや)(来(き)てたのか…)
一生懸命(いっしょうけんめい)に、パンを食(た)べていた。
初(はじ)めて見(み)た時(とき)のように。
朋也(ともや)(………)
先週(せんしゅう)は、その隣(となり)に居(い)たのだ、俺(おれ)は。
今(いま)はもう、見下(みお)ろす側(がわ)に居(い)た。
春原(すのはら)「おい、岡崎(おかざき)、急(いそ)げよ。昼休(ひるやす)み終(お)わっちまうぞ」
春原(すのはら)の声(こえ)が聞(き)こえた。
朋也(ともや)「あ、ああ」
その時(とき)、古河(ふるかわ)がこっちに気(き)づいた。
俺(おれ)だとわかっているだろうか。
パンを口(ぐち)から離(はな)し、膝(ひざ)の上(うえ)に置(お)いた。
古河(ふるかわ)は今(いま)にも泣(な)き出(だ)しそうな顔(かお)で、こっちを見(み)ていた。
土曜(どよう)の出来事(できごと)を思(おも)い出(だ)してるのだろうか…。
顔(かお)を伏(ふ)せた。
朋也(ともや)(古河(ふるかわ)…)
立(た)ち去(さ)るべきだった。これ以上(いじょう)、見(み)ていたくなかった。
けど、俺(おれ)は動(うご)けないでいた。
春原(すのはら)の呼(よ)ぶ声(こえ)が何度(なんど)もした。
でも…じっとしていた。
………。
古河(ふるかわ)がもう一度(いちど)顔(かお)を上(あ)げる。
そして…
片手(かたて)をあげ…
俺(おれ)へ向(む)けてそれを振(ふ)った。
頑張(がんば)って、笑顔(えがお)を作(つく)っていた。
………。
…報(むく)いてやりたい。
あいつの精一杯(せいいっぱい)の努力(どりょく)を。
まだ俺(おれ)を必要(ひつよう)としてくれるなら。
朋也(ともや)「春原(すのはら)、これ、頼(たの)むっ」
春原(すのはら)に鞄(かばん)を投(な)げ渡(わた)すと、廊下(ろうか)を走(はし)っていた。
俺(おれ)も懸命(けんめい)だった。
古河(ふるかわ)は食事(しょくじ)を再開(さいかい)していた。
その隣(となり)に俺(おれ)は腰(こし)を下(お)ろした。
朋也(ともや)「ふぅ…」
食(く)う物(もの)がなかったから、待(ま)つしかなかった。
古河(ふるかわ)「………」
古河(ふるかわ)「良(よ)かったです…」
古河(ふるかわ)「勇気(ゆうき)出(だ)して…」
いつの間(ま)にか、古河(ふるかわ)がパンから口(くち)を離(はな)していた。
古河(ふるかわ)「がんばって手(て)、振(ふ)って、良(よ)かったです」
古河(ふるかわ)「岡崎(おかざき)さん、降(お)りてきてくれました」
朋也(ともや)「ああ、安心(あんしん)しろ。俺(おれ)は呼(よ)んだら来(く)るって、そう言(い)っただろ」
古河(ふるかわ)「でも、あんなことがあった後(あと)だから…」
古河(ふるかわ)「わたし、岡崎(おかざき)さん、傷(きず)つけてしまいましたから…」
朋也(ともや)「おまえ、泣(な)きそうだったからな」
朋也(ともや)「さっき、泣(な)きそうだったろ?」
古河(ふるかわ)「はい、泣(な)きそうでした」
朋也(ともや)「なら良(よ)かったよ。これで泣(な)かないで済(す)むだろ」
古河(ふるかわ)「はい、良(よ)かったです。不安(ふあん)だったですけど、すごく安心(あんしん)できました」
ぐす、と鼻(はな)をすする音(おと)がした。
見(み)ると、古河(ふるかわ)は泣(な)いていた。
涙(なみだ)がぼろぼろと頬(ほお)を伝(つた)って、顎(あご)から落(お)ちて、それが手(て)に持(も)ったパンの食(く)い口(くち)に吸(す)い込(こ)まれていく。
ずっと、気(き)を張(は)っていたのだろう。
寝込(ねこ)んでいる間(あいだ)も、ずっと思(おも)い悩(なや)んでいたのだろう。
無粋(ぶすい)な自分(じぶん)を俺(おれ)は呪(のろ)った。
古河(ふるかわ)の手(て)から、パンを奪(うば)うと、涙(なみだ)が染(し)みた部分(ぶぶん)を千切(ちぎ)った。
そして、それを口(くち)に放(ほう)り込(こ)んだ。
古河(ふるかわ)「あ」
古河(ふるかわ)はそれをどう見(み)ていただろうか。
俺(おれ)はただ、古河(ふるかわ)の涙(なみだ)を飲(の)み干(ほ)したくなっただけだ。
それは、俺(おれ)が流(なが)させたものだったろうから。
朋也(ともや)「おまえは馬鹿(ばか)だろうけどさ…でもそれでいいと思(おも)う」
古河(ふるかわ)「そうでしょうか…」
朋也(ともや)「俺(おれ)もそうだからな」
朋也(ともや)「同(おな)じ場所(ばしょ)に居(い)る」
朋也(ともや)「世渡(よわた)りがうまかったり、巧妙(こうみょう)に駆(か)け引(ひ)きする奴(やつ)らから遠(とお)い場所(ばしょ)だ」
口(くち)の中(なか)のパンを噛(か)みしめる。
古河(ふるかわ)の涙(なみだ)は、なぜか懐(なつ)かしい味(あじ)がした。
それは、俺(おれ)が小(ちい)さい頃(ころ)に流(なが)した涙(なみだ)と、同(おな)じ味(あじ)だった。
………。
………。
そういえば…、と気(ぎ)づく。
隣(となり)がいない。
寮(りょう)に戻(もど)ったのか、それとも遊(あそ)びに出(で)ていったのか。
結局(けっきょく)、サボるつもりなのだろうか。
朋也(ともや)(退屈(たいくつ)すぎる…)
春原(すのはら)がいないと、ストレスの発散(はっさん)もできない。
気分転換(きぶんてんかん)のために、教室(きょうしつ)を出(で)る。
朋也(ともや)(ジュースでも、買(か)ってこよう…)
閑散(かんさん)としきった学食(がくしょく)。
自販機(じはんき)で80円(えん)の紙(かみ)パックのジュースを買(か)い求(もと)め、それを飲(の)みながら教室(きょうしつ)に戻(もど)る。
もちろん、廊下(ろうか)での飲食(いんしょく)は禁止(きんし)だから、教師(きょうし)に見(み)つかれば咎(とが)められるのだが。
教室(きょうしつ)についたところで、ちょうど飲(の)みきり、そのままパックをゴミ箱(はこ)に捨(す)て、自分(じぶん)の席(せき)へと戻(もど)った。
春原(すのはら)「ふわぁ」
春原(すのはら)も戻(もど)ってきていた。呑気(のんき)にあくびなんてしている。
朋也(ともや)「どっかで寝(ね)てたのか」
春原(すのはら)「まぁね」
春原(すのはら)「で…」
春原(すのはら)「…六時間目(ろくじかんめ)って、なんだっけ?」
朋也(ともや)「見(み)ればわかるだろ」
春原(すのはら)「あん?」
教室(きょうしつ)は女子(じょし)の姿(すがた)が消(き)え、男子(だんし)の更衣室(こういしつ)と化(か)していた。
春原(すのはら)「体育(たいいく)ぅ?
移動(いどう)だるぅ…」
生徒(せいと)A「今日(きょう)、なにやるって?」
生徒(せいと)B「サッカーだってよ」
生徒(せいと)A「えぇ~…だるぅ…」
春原(すのはら)「おっと、これは…俄然(がぜん)やる気(き)が出(で)て参(まい)りましたねぇ」
朋也(ともや)「元(もと)サッカー部員(ぶいん)の唯一(ゆいいつ)の見(み)せ場(ば)だもんな」
春原(すのはら)「はっ、格(かく)の違(ちが)いってもんを見(み)せてやるさ」
体育(たいいく)の時間(じかん)は授業(じゅぎょう)というより、勉強(べんきょう)の間(あいだ)の息抜(いきぬ)きといった感(かん)じで、適当(てきとう)に試合(しあい)をさせられるだけ。
ボールを追(お)わずにだべっていても、教師(きょうし)も何(なに)も言(い)わない。
なんとなく3年(ねん)の体育(たいいく)の授業(じゅぎょう)は、野球(やきゅう)の消化試合(しょうかしあい)に似(に)ていた。
春原(すのはら)「よっしゃ、ハットトリックゥゥーーッ!」
進学(しんがく)を諦(あきら)めた馬鹿(ばか)の声(こえ)だけが、元気(げんき)よくこだましていた。
春原(すのはら)「帰(かえ)ろうぜっ」
朋也(ともや)「おまえの高校生活(こうこうせいかつ)は、ワンダフルだな」
春原(すのはら)「うん?」
朋也(ともや)「一生(いっしょう)に二度(にど)と訪(おとず)れない時間(じかん)だから、堪能(かんのう)しておけよ」
春原(すのはら)「当然(とうぜん)。そのためにも、どっか寄(よ)って、遊(あそ)んでこうぜ」
春原(すのはら)「当然(とうぜん)」
春原(すのはら)「さて、今日(きょう)の本番(ほんばん)はこれからだな…」
朋也(ともや)「ああ、頑張(がんば)って楽(たの)しんでこい」
鞄(かばん)を持(も)って、先(さき)に教室(きょうしつ)を出(で)る。
春原(すのはら)「おい、一緒(いっしょ)にいかねぇのっ!?」
朋也(ともや)「野暮用(やぼよう)だ」
背後(はいご)からの声(こえ)にそれだけを答(こた)えて、廊下(ろうか)を歩(ある)き出(だ)す。
事件(じけん)は放課後(ほうかご)に起(お)きた。
いや、それまでに起(お)きていたのだろうけど、俺(おれ)たちは自分(じぶん)たちのことで精一杯(せいいっぱい)で、その時間(じかん)になるまで気(き)づけなかったのだ。
古河(ふるかわ)「岡崎(おかざき)さんっ」
ずっと探(さが)していたのだろうか。俺(おれ)の元(もと)へ、古河(ふるかわ)が慌(あわ)てた様子(ようす)で駆(か)け寄(よ)ってきた。
朋也(ともや)「どうした」
古河(ふるかわ)「校内(こうない)のだんご大家族(だいかぞく)がっ…ぜんぶっ…」
しどろもどろで、何(なに)を言(い)いたいのか、よくわからない。
単語(たんご)から、推測(すいそく)してみる。
だんご大家族(だいかぞく)が…校内(こうない)を…占拠(せんきょ)。
朋也(ともや)「だんご大家族(だいかぞく)が校内(こうない)を占拠(せんきょ)したっ!?」
それは確(たし)かに、慌(あわ)てふためく事態(じたい)だ。
古河(ふるかわ)「違(ちが)いますっ…だんご達(たち)はそんなことしませんっ」
古河(ふるかわ)「だんご達(たち)は、自分(じぶん)たちの生活(せいかつ)に一生懸命(いっしょうけんめい)なんですからっ」
古河(ふるかわ)「大家族(だいかぞく)だから、大変(たいへん)なんです。ほんとに…」
古河(ふるかわ)「兄弟喧嘩(きょうだいけんか)とか、堪(た)えないんです」
朋也(ともや)「いや、だんご達(たち)がそんなことをするかどうかは置(お)いておいて…」
古河(ふるかわ)「置(お)いておいて、じゃなく、しないんです」
朋也(ともや)「ああ、わかった。しない」
古河(ふるかわ)「………」
古河(ふるかわ)は自分(じぶん)の胸(むね)を押(お)さえて、しばらく黙(だま)り込(こ)む。
そうして、自分(じぶん)を落(お)ち着(つ)かせているようだ。
俺(おれ)も黙(だま)って、待(ま)つ。
古河(ふるかわ)「だんご大家族(だいかぞく)のビラが…ぜんぶ剥(は)がされてるんです」
その一言(いちげん)で、ようやく事態(じたい)が把握(はあく)できた。
古河(ふるかわ)「どうしてこんなことに…」
俺(おれ)は大体(だいたい)の予測(よそく)がついた。
あまり古河(ふるかわ)を不安(ふあん)がらせないよう、黙(だま)っていたことがある。
すでに部員募集(ぶいんぼしゅう)の期間(きかん)は終(お)わってしまっているということ。
朋也(ともや)(見過(みす)ごしてくれると思(おも)ってたんだけどな…)
しかも、演劇部(えんげきぶ)は廃部(はいぶ)していて、顧問(こもん)も部員(ぶいん)もいない、という状態(じょうたい)だ。
それだけ厳(きび)しく取(と)り締(し)まられるのであれば、部(ぶ)の活動(かつどう)を認(みと)めてもらうことだって難(むずか)しいかもしれない。
古河(ふるかわ)「………」
古河(ふるかわ)は落(お)ち込(こ)んでしまっている。
そこへ、校内放送(こうないほうそう)が鳴(な)り、古河(ふるかわ)の名(な)を呼(よ)んだ。
『…至急(しきゅう)、生徒会室(せいとかいしつ)まできてください』
そう伝(つた)えて、放送(ほうそう)は鳴(な)りやんだ。
古河(ふるかわ)「なんでしょう」
古河(ふるかわ)が俺(おれ)を振(ふ)り返(かえ)っていた。
その顔(かお)には不安(ふあん)の色(いろ)もなく、まるで身(み)に覚(おぼ)えがない、といった感(かん)じで小首(こくび)を傾(かし)げている。
今(いま)からお咎(とが)めを喰(く)らおうなどとは、夢(ゆめ)にも思(おも)っていないのだ。
朋也(ともや)(そういう事態(じたい)にならないようにするのが、俺(おれ)の役目(やくめ)じゃなかったのか…)
今更(いまさら)後悔(こうかい)しても遅(おそ)い。
ここは、正直(しょうじき)に教(おし)えてやったほうがいいだろう。
朋也(ともや)「あのな、古河(ふるかわ)」
古河(ふるかわ)「はい?」
今(いま)の事態(じたい)の悪(わる)さを簡単(かんたん)に話(はな)して聞(き)かせた。
古河(ふるかわ)「そうだったんですか」
朋也(ともや)「ああ。そんなに厳(きび)しくないと思(おも)ってたんだ。悪(わる)い」
古河(ふるかわ)「いえ、岡崎(おかざき)さんは何(なに)も悪(わる)くないです」
古河(ふるかわ)「責任(せきにん)は、すべて部長(ぶちょう)のこのわたしにありますから」
朋也(ともや)「その部長(ぶちょう)にもなれないかもしれないんだぞ」
古河(ふるかわ)「………」
固(かた)まる。
古河(ふるかわ)「いえ、大丈夫(だいじょうぶ)です。きっと、ちゃんと説明(せつめい)すれば、わかってくれます」
朋也(ともや)「だといいけどな…」
朋也(ともや)「生徒会室(せいとかいしつ)って言(い)ってたから、生徒会(せいとかい)が仕切(しき)ってるんだな」
朋也(ともや)「話(はなし)のわかる生徒会(せいとかい)だといいな」
古河(ふるかわ)「生徒(せいと)の代表(だいひょう)として選(えら)ばれた人(ひと)たちですから、いい人(にん)たちに決(き)まってます」
朋也(ともや)「だな」
これ以上(いじょう)不安(ふあん)がらせないでおこう。
古河(ふるかわ)と同(おな)じように、楽観的(らっかんてき)に考(かんが)えればいいんだ。
朋也(ともや)「そういや…まだ購買(こうばい)、開(ひら)いてるかな」
古河(ふるかわ)「どうしてですか?」
朋也(ともや)「とにかく、ついてこい」
俺(おれ)は購買(こうばい)で売(う)れ残(のこ)ったあんパンを買(か)い占(し)める。
古河(ふるかわ)「あんパンですか…?」
朋也(ともや)「これ、持(も)っていけ」
古河(ふるかわ)の手(て)の中(なか)に押(お)し込(こ)める。
朋也(ともや)「これで頑張(がんば)れっ」
古河(ふるかわ)「とてつもなく、不安(ふあん)になってきましたっ」
朋也(ともや)「いいから、いけっ」
背中(せなか)を押(お)すと、あんパンがひとつ床(ゆか)に落(お)ちた。
それを拾(ひろ)おうと前屈(まえかが)みになると、別(べつ)のあんパンが転(ころ)がり落(お)ちる。
古河(ふるかわ)「あの…こんなに持(も)っていけないんですけど」
朋也(ともや)「落(お)ちたのは俺(おれ)が拾(ひろ)っておいてやるから、いけ」
古河(ふるかわ)「じゃ、お願(ねが)いします」
とてとてと歩(ある)いていった。
その間(あいだ)も、いくつか落(お)ちた。
朋也(ともや)「………」
…心配(しんぱい)しすぎだろうか、俺(おれ)は。
その場(ば)で古河(ふるかわ)の帰(かえ)りを待(ま)つ。
10分(ぷん)ほどして、古河(ふるかわ)は戻(もど)ってきた。
朋也(ともや)「早(はや)かったな」
古河(ふるかわ)「はい」
朋也(ともや)「で、どうだった」
古河(ふるかわ)「困(こま)りました」
朋也(ともや)「どんなこと、言(い)われたんだ」
古河(ふるかわ)「部員(ぶいん)の募集(ぼしゅう)と、活動(かつどう)を一切(いっさい)禁(きん)ずるって」
…全然(ぜんぜん)ダメじゃん。
朋也(ともや)「おまえ、それ素直(すなお)にわかりましたって答(こた)えたのか」
古河(ふるかわ)「いえ、相談(そうだん)してきますって」
朋也(ともや)「誰(だれ)と」
古河(ふるかわ)「岡崎(おかざき)さん」
…何者(なにもの)なんだよ、俺(おれ)は。
代わりに談判してくる
朋也(ともや)「代(か)わりに俺(おれ)が行(い)ってくるよ」
古河(ふるかわ)「えっ…いいんですか」
朋也(ともや)「ああ、どうも、頭(あたま)の固(かた)い連中(れんちゅう)みたいだしな」
古河(ふるかわ)「申(もう)しわけないです…」
朋也(ともや)「いいって」
俺(おれ)は古河(ふるかわ)をその場(ば)に残(のこ)し、生徒会室(せいとかいしつ)に向(む)かう。
生徒会室(せいとかいしつ)。そのプレートが掲(かか)げられたドアの前(まえ)に立(た)つ。
俺(おれ)のようにぐうたらやっている人間(にんげん)にとって、生徒会(せいとかい)なんて無縁(むえん)のシロモノだった。
生徒会長(せいとかいちょう)の顔(かお)も知(し)らなければ、それがいつ決(き)まったかも知(し)らない。
朋也(ともや)(はぁ…)
なんだか気(き)が重(おも)くなってくる。できれば、ずっと無縁(むえん)でいたかったものだ。
朋也(ともや)(でも、あいつの作(つく)った、だんご大家族(だいかぞく)の奪還(だっかん)を果(は)たさないとな…)
俺(おれ)はノックもせずに、ドアを開(あ)け放(はな)った。
会議用(かいぎよう)の長(なが)い机(つくえ)が四角形(しかくけい)を作(つく)っている。
その一番奥(いちばんおく)の席(せき)で、男(おとこ)がひとり、ワープロを叩(たた)いていた。
その隣(となり)にはあんパンが山積(さんせき)みになっていた。古河(ふるかわ)が食(た)べきれない分(ぶん)を、お裾分(すそわ)けしたのだろう。
男子生徒(だんしせいと)「ん?
誰(だれ)ですか」
男(おとこ)が顔(かお)を上(あ)げた。
なんていうか、生(う)まれた時(とき)から生徒会(せいとかい)やってます、というような顔(かお)だった。
朋也(ともや)「代(か)わりだよ。さっきここにきた古河(ふるかわ)という生徒(せいと)の」
男子生徒(だんしせいと)「代(か)わり?」
朋也(ともや)「ああ、俺(おれ)が話(はなし)をする」
男子生徒(だんしせいと)「あなたの名前(なまえ)は?」
朋也(ともや)「岡崎(おかざき)」
男子生徒(だんしせいと)「待(ま)ってください」
机(つくえ)の上(うえ)からビラを拾(ひろ)い上(あ)げ、それに隅々(すみずみ)まで視線(しせん)を這(は)わせた。
男子生徒(だんしせいと)「これには、部長(ぶちょう)·古河渚(ふるかわなぎさ)、と署名(しょめい)があるだけです」
朋也(ともや)「ああ」
男子生徒(だんしせいと)「つまり、この件(けん)の責任者(せきにんしゃ)は、古河渚(ふるかわなぎさ)、という生徒(せいと)だということです」
朋也(ともや)「ああ」
男子生徒(だんしせいと)「お引(ひ)き取(と)り下(くだ)さい」
ワープロの画面(がめん)に目(め)を戻(もど)した。
朋也(ともや)「こらっ、待(ま)てよっ」
朋也(ともや)「てめぇ、こうしてわざわざ来(き)てやったのに、どんな扱(あつか)いだよ、そりゃ」
男子生徒(だんしせいと)「わざわざもなにも、お呼(よ)びした覚(おぼ)えがありません」
朋也(ともや)「俺(おれ)は古河渚(ふるかわなぎさ)の代(か)わりだって言(い)ってるだろ」
男子生徒(だんしせいと)「代役(だいやく)は認(みと)められません」
朋也(ともや)「どうしてだよ」
男子生徒(だんしせいと)「話(はなし)がこじれるからです」
男子生徒(だんしせいと)「話(はな)し合(あ)いとはそういうものですよ。間(あいだ)に入(はい)る人(ひと)の数(かず)が多(おお)いほど、話(はなし)はこじれ、時間(じかん)を無駄(むだ)にする」
相手(あいて)は俺(おれ)の威圧的(いあつてき)な態度(たいど)にも冷静(れいせい)に対応(たいおう)し続(つづ)けた。
こういう相手(あいて)は骨(ほね)が折(お)れる…。
朋也(ともや)「じゃ、隣(となり)にあいつを連(つ)れてくるから、それでいいだろ?」
男子生徒(だんしせいと)「あなたに立(た)ち会(あ)う権利(けんり)はありません」
朋也(ともや)「なんでだよっ」
男子生徒(だんしせいと)「わかりました。では、立(た)ち会(あ)うことは認(みと)めましょう」
男子生徒(だんしせいと)「しかし、発言(はつげん)は認(みと)めません」
朋也(ともや)「だったら、同(おな)じだってのっ」
男子生徒(だんしせいと)「我々(われわれ)は責任(せきにん)を持(も)つ人間(にんげん)とのみ、話(はな)し合(あ)うと決(き)めているのです」
男子生徒(だんしせいと)「部員(ぶいん)の意見(いけん)は、前(まえ)もって、その責任者(せきにんしゃ)がまとめておくべきなのです」
朋也(ともや)「あいつは口(くち)ベタなんだよっ」
男子生徒(だんしせいと)「そんなことは私(わたし)が知(し)ったことじゃありません」
朋也(ともや)「………」
口(くち)では勝(か)てる気(き)がしなかった。
朋也(ともや)「ちっ…」
朋也(ともや)「知(し)らなかったよ」
男子生徒(だんしせいと)「なにがですか」
朋也(ともや)「この学校(がっこう)の生徒会(せいとかい)はてめぇみたいな冷(つめ)たい人間(にんげん)が仕切(しき)っていたなんてな」
男子生徒(だんしせいと)「ええ」
男(おとこ)は認(みと)めた。
男子生徒(だんしせいと)「一部(いちぶ)の生徒(せいと)にそう思(おも)われるのは致(いた)し方(かた)ありませんね。悲(かな)しいことですが」
その他(た)大勢(おおぜい)の生徒(せいと)には支持(しじ)される生徒会(せいとかい)である、と言(い)っているのだ。
もう、どうでもいい。
俺(おれ)は身(み)を翻(ひるがえ)す。
朋也(ともや)「あ、あとな…」
思(おも)い出(だ)して、振(ふ)り返(かえ)る。
朋也(ともや)「ちゃんと、そのあんパン、食(く)えよ」
そう言(い)い残(のこ)して、部屋(へや)を後(あと)にした。
中庭(なかにわ)まで降(お)りてくると、古河(ふるかわ)が駆(か)け足(あし)で寄(よ)ってくる。
古河(ふるかわ)「どうでしたかっ」
朋也(ともや)「あのな、古河(ふるかわ)」
古河(ふるかわ)「はい」
朋也(ともや)「あんなの無視(むし)して、やっちまおうぜ」
古河(ふるかわ)「無視(むし)するって、そういうのはよくないことです」
朋也(ともや)「だろうけどさ。それに見合(みあ)うだけの、生徒会(せいとかい)でもねぇよ」
古河(ふるかわ)「でも、生徒会(せいとかい)の言(い)うことですから…」
朋也(ともや)「俺(おれ)は認(みと)めないって言(い)ってるんだよ」
朋也(ともや)「本当(ほんとう)に助(たす)けるべき相手(あいて)がわかっちゃいないんだ」
朋也(ともや)「そんな正(ただ)しくない生徒会(せいとかい)の言(い)うことを守(まも)らなければならないのか?」
朋也(ともや)「なぁ、古河(ふるかわ)」
朋也(ともや)「それに俺(おれ)たちは、不良(ふりょう)生徒(せいと)、だろ?」
その日(ひ)、俺(おれ)たちは部員募集(ぶいんぼしゅう)のビラを校内(こうない)に貼(は)り直(なお)して、下校(げこう)した。
並(なら)んで坂(さか)を下(お)りる。その先(さき)に、頭(あたま)の黄色(きいろ)いのがいた。
古河(ふるかわ)「あれは…岡崎(おかざき)さんのお友達(ともだち)の方(かた)ではないでしょうか」
朋也(ともや)「だな…」
そいつは近(ちか)づいてくる。
春原(すのはら)「なにやってたんだよ、岡崎(おかざき)っ」
朋也(ともや)「なんだよ…」
古河(ふるかわ)「こんにちは」
春原(すのはら)「ほら、見(み)ろよ、これっ」
古河(ふるかわ)の挨拶(あいさつ)も無視(むし)して、春原(すのはら)は肩(かた)から掛(か)けていたものを指(さ)さした。
それはエレキギターだった。
小(ちい)さなミニアンプもストラップに付(つ)いている。
春原(すのはら)「知(し)り合(あ)いに借(か)りてきたんだぜ」
朋也(ともや)「なんのために」
春原(すのはら)「おまえね…昨日(きのう)の話(はなし)を忘(わす)れたのか?」
春原(すのはら)「芳野祐介(よしのゆうすけ)が僕(ぼく)のギターを聴(き)いてくれるって、そういう話(はなし)だっただろっ?」
朋也(ともや)「そうだったな…」
朋也(ともや)「でも、ギターなんて持(も)っていったら、おまえ…絶対(ぜったい)に弾(ひ)けないのバレるじゃないか」
春原(すのはら)「いや…こいつの持(も)ち主(ぬし)に、ひとつだけ技(わざ)を教(おし)えてもらったんだ」
春原(すのはら)「素人(しろうと)の僕(ぼく)にもできるってよ」
朋也(ともや)「ふぅん、そんなのがあるのか。やってみせろよ」
春原(すのはら)「ああ、待(ま)てよ…」
アンプのスイッチを入(い)れ、音(おと)が鳴(な)ることを確(たし)かめる。
春原(すのはら)「いくぞ…」
朋也(ともや)「ああ」
春原(すのはら)「必殺(ひっさつ)…ギタースケラッチ!」
弦(げん)にピックを押(お)しつけると、それをネックのほうへと滑(なめ)らせていった。
ギュイイイィーーーーンッ!
春原(すのはら)「どうだっ、弾(ひ)ける奴(やつ)っぽいだろ」
朋也(ともや)「いや、ぽいっけど…弾(ひ)いてはないよな」
朋也(ともや)「後(あと)、スケラッチじゃなくて、スクラッチだと思(おも)うぞ」
春原(すのはら)「ふん…ちゃんと考(かんが)えてあるさ。僕(ぼく)が今(いま)の技(わざ)を繰(く)り出(だ)した後(あと)に、すかさずおまえはこう言(い)ってくれ」
朋也(ともや)「なんてだよ」
春原(すのはら)「…さすがだ春原(すのはら)。だが、もうやめとけ。後(あと)はおまえのファンのために取(と)っておきな」
春原(すのはら)「ってな」
春原(すのはら)「すると、どうだ。実(じつ)はすごくうまいんだけど、もったいぶって弾(ひ)かない奴(やつ)に見(み)えるだろ?」
朋也(ともや)「見(み)えたらいいな」
本当(ほんとう)にこんな作戦(さくせん)が通用(つうよう)するのだろうか…。
春原(すのはら)「ほら、いくぞっ」
そう言(い)って、俺(おれ)の手(て)を引(ひ)く。
朋也(ともや)「ちょっと待(ま)てっ」
古河(ふるかわ)を振(ふ)り返(かえ)る。
古河(ふるかわ)「がんばってきてください」
朋也(ともや)「あ、ああ」
古河(ふるかわ)の見送(みおく)る中(なか)、俺(おれ)は春原(すのはら)に引(ひ)きずられていった。
春原(すのはら)「必殺(ひっさつ)…ギタースケラッチ!」
弦(げん)にピックを押(お)しつけると、それをネックのほうへと滑(なめ)らせる。
が、あまりに強(つよ)く押(お)しつけすぎたせいか、指(ゆび)で弦(げん)を擦(す)ってしまったようだ。
春原(すのはら)「アチィッ!」
ピックを取(と)り落(お)とす。
春原(すのはら)「うわっ、弦(げん)の跡(あと)、ついたよっ!
ふぅーっ、ふぅーっ」
そこですかさず、俺(おれ)は言(い)った。
朋也(ともや)「さすがだ春原(すのはら)。だが、もうやめとけ。後(あと)はおまえのファンのために取(と)っておきな」
芳野(よしの)「………」
芳野(よしの)「おまえら…」
芳野(よしの)「バンドじゃなくて、お笑(わら)いコンビだったのか…」
芳野(よしの)「悪(わる)いが、お笑(わら)いはわからないんだ…」
立(た)ち去(さ)る。
ひゅるるるぅ~…
春原(すのはら)「はっ」
春原(すのはら)「おまえのせいで勘違(かんちが)いされただろっ!」
春原(すのはら)「サインどうしてくれるんだよっ」
朋也(ともや)「追(お)いかけろよっ」
春原(すのはら)が走(はし)っていって、必死(ひっし)に弁解(べんかい)する。
どう言(い)いくるめたかは知(し)らないが、芳野祐介(よしのゆうすけ)は複雑(ふくざつ)な表情(ひょうじょう)のままで、ベンチまで戻(もど)ってくる。
芳野(よしの)「確(たし)かに漫談(まんだん)で、楽器(がっき)を使(つか)う、というのは見(み)たことあるがな…」
春原(すのはら)「だから、違(ちが)うっす」
春原(すのはら)「僕(ぼく)ら真剣(しんけん)っす」
芳野(よしの)「…でも、まったく弾(ひ)けないんだろ」
芳野(よしの)「後(あと)、スケラッチじゃなくて、スクラッチ、な」
朋也(ともや)「はは…実(じつ)は、こいつ始(はじ)めたばっかで、虚勢(きょせい)張(は)ってたんすよ」
朋也(ともや)「俺(おれ)も、本当(ほんとう)はなにもやってないし…」
芳野(よしの)「だろうな…」
芳野(よしの)「ドラムはモグラ叩(たた)きなんかに似(に)ていない」
春原(すのはら)「ですよねっ」
おまえが言(い)えって言(い)ったんだろうが。
芳野(よしの)「けど、まぁ…」
芳野(よしの)「約束(やくそく)だな」
春原(すのはら)「え?」
芳野(よしの)「俺(おれ)のギター、聴(き)きたいんじゃなかったのか」
芳野(よしの)「それとも、もう、いいのか」
春原(すのはら)「いえ、お願(ねが)いしますっ」
春原(すのはら)のギターを受(う)け取(と)り、ストラップに頭(あたま)を通(とお)す。
容姿(ようし)のせいか、それともかつての彼(かれ)の活躍(かつやく)ぶりを知(し)ったためか、ギターがよく似合(にあ)って見(み)えた。
芳野(よしの)「どうでもいいが、これ、通販(つうはん)の2万円(まんえん)で買(か)えるギターだな…」
春原(すのはら)「なんか、足(た)りないっすか」
芳野(よしの)「いや…十分(じゅうぶん)だ」
一弦(いちげん)ずつ指(ゆび)で弾(はじ)きながら、音(おと)を合(あ)わせていく。
春原(すのはら)「え…今(いま)、弾(ひ)いてるんすか。なんか味(あじ)のある曲(きょく)っすね…」
芳野(よしの)「馬鹿(ばか)…チューニングだ」
芳野(よしの)「よし」
ピックを持(も)つと、ようやく、曲(きょく)を奏(かな)で始(はじ)めた。
春原(すのはら)の鳴(な)らす雑音(ざつおん)とはまったく違(ちが)う、美(うつく)しい旋律(せんりつ)だった。
低(ひく)い音(おと)で和音(わおん)を鳴(な)らしながら、高(たか)い音(おと)でメロディを弾(ひ)いている。
目(め)をつぶると、まるで二本(にほん)のギターで弾(ひ)いているように聞(き)こえる。
不思議(ふしぎ)で仕方(しかた)がなかった。
春原(すのはら)「むちゃくちゃうまいっすね…」
春原(すのはら)「その曲(きょく)、歌(うた)はないんすか」
春原(すのはら)が訊(き)く。
確(たし)かに、歌声(うたごえ)も聞(き)けるなら、生(しょう)で聞(き)いてみたかった。
芳野(よしの)「歌(うた)なんてない。適当(てきとう)に弾(ひ)いてるだけだ。別(べつ)になにかの曲(きょく)を弾(ひ)いてるわけじゃない」
芳野(よしの)「そろそろ終(お)わらせるぞ」
最後(さいご)に高音(こうおん)を響(ひび)かせて、曲(きょく)を終(お)わらせた。
春原(すのはら)「あの…」
春原(すのはら)「プロとか…目指(めざ)さないんすか」
春原(すのはら)はまだ口(くち)を割(わ)らせようと、頑張(がんば)っていた。
芳野(よしの)「プロか…」
芳野(よしの)「そんなの、どうだっていい」
芳野(よしの)「俺(おれ)はただ、歌(うた)いたいときに歌(うた)う」
芳野(よしの)「そうしてるんだ」
やっぱり、壁(かべ)を作(つく)っていた。かつての自分(じぶん)に対(たい)して。
…春原(すのはら)はどうするだろうか。
触(ふ)れてはならない部分(ぶぶん)に触(ふ)れようとするだろうか。
春原(すのはら)「こ、こうっすか…イテテ…指(ゆび)つりそうっす」
…純粋(じゅんすい)にギターを教(おそ)わっていた!
芳野(よしの)「しばらくは指先(ゆびさき)も火傷(やけど)したように痛(いた)くなるぞ」
芳野(よしの)「でも、それを越(こ)えれば、皮(かわ)も固(かた)くなって、楽(らく)になるからな」
春原(すのはら)「そうっすか。頑張(がんば)るっす」
春原(すのはら)「へへっ」
芳野(よしの)「もう、この場所(ばしょ)で仕事(しごと)するのも今日(きょう)が最後(さいご)だ」
芳野(よしの)「もっとうまくなったら、また聞(き)かせにこい。聞(き)いてやるから」
言(い)って、春原(すのはら)にも名刺(めいし)を渡(わた)した。
春原(すのはら)「はいっ」
春原(すのはら)「ありがとうございましたっ」
芳野(よしの)「じゃあな」
俺(おれ)にも微笑(ほほえ)みかけた後(あと)、芳野祐介(よしのゆうすけ)は軽(けい)トラに乗(の)り込(こ)み、走(はし)らせていった。
春原(すのはら)「僕(ぼく)…なんか、感動(かんどう)したよ…」
春原(すのはら)「あんなすごい人(びと)に、ど素人(しろうと)の僕(ぼく)が、ギターを教(おし)えてもらえるなんて…」
春原(すのはら)「めっちゃええ人(ひと)や…」
朋也(ともや)「結局(けっきょく)サインはもらえなかったけどな」
春原(すのはら)「んなのどうだっていいんだよ」
春原(すのはら)「これからは僕(ぼく)が上達(じょうたつ)するたび、その成果(せいか)を芳野(よしの)さんに聞(き)いてもらえるんだからさっ」
朋也(ともや)「おまえ…ギター、マジで続(つづ)ける気(き)か?」
春原(すのはら)「ああ…」
春原(すのはら)「やるよ、僕(ぼく)は…」
春原(すのはら)「待(ま)っててくれよ、芳野(よしの)さん…」
芳野祐介(よしのゆうすけ)の去(さ)った後(あと)を、春原(すのはら)はじっと見(み)つめていた。
夜(よる)は、いつものように、春原(すのはら)の部屋(へや)へ。
朋也(ともや)「ふぅ…今日(きょう)は疲(つか)れた」
俺(おれ)は床(よか)に寝(ね)そべって、雑誌(ざっし)を読(よ)み始(はじ)める。
春原(すのはら)「ああ、興奮(こうふん)したね。エキサイティングだったね」
ぺちぺちと音(おと)にならない音(おと)を立(た)てながら、春原(すのはら)はギターを練習(れんしゅう)していた。
春原(すのはら)「そういやさ…」
朋也(ともや)「ああ」
春原(すのはら)「おまえ、あの演劇部(えんげきぶ)の子(こ)と付(つ)き合(あ)ってんだな」
朋也(ともや)「待(ま)て」
俺(おれ)はがばっと身(み)を起(お)こす。
朋也(ともや)「何(なに)見(み)て、そう思(おも)ったんだよっ」
春原(すのはら)「何(なに)って…昼休(ひるやす)み、一目散(いちもくさん)に駆(か)けていったじゃないか、おまえ」
春原(すのはら)「見(み)てたら中庭(なかにわ)であの子(こ)と落(お)ち合(あ)ってた」
朋也(ともや)「馬鹿(ばか)、それだけで勘違(かんちが)いするな」
春原(すのはら)「泣(な)いてたじゃないか、あの子(こ)」
春原(すのはら)「おまえ必死(ひっし)でなぐさめてさ、ひとつのパンをふたりで食(く)ったりしてたじゃないか」
春原(すのはら)「それで彼女(かのじょ)じゃなければどんな関係(かんけい)なんだよ」
朋也(ともや)「演劇部(えんげきぶ)の部長(ぶちょう)と、その手伝(てつだ)いだ」
春原(すのはら)「んなわけあるかよっ」
春原(すのはら)「むちゃくちゃわけありなふたりに見(み)えたっつーのっ」
春原(すのはら)「それに考(かんが)えてみりゃ、放課後(ほうかご)の野暮用(やぼよう)ってのも、あの子(こ)と会(あ)うことだったんだな」
春原(すのはら)「それに放課後(ほうかご)も、一緒(いっしょ)だったじゃん」
春原(すのはら)「考(かんが)えてみりゃ、放課後(ほうかご)の野暮用(やぼよう)ってのは、あの子(こ)と会(あ)うことだったんだな」
春原(すのはら)「そもそもおかしいと思(おも)ったんだよ、おまえが部活動(ぶかつどう)に精(せい)を出(だ)すなんてさ」
そう言(い)われると、何(なに)も返(かえ)せない。
実際(じっさい)は、たくさんの出来事(できごと)があって、今(いま)に至(いた)ってるのだけど。
あいつを手伝(てつだ)っているだけでなく…
俺(おれ)も、あいつの存在(そんざい)によって、救(すく)われていることとか。
それらひとつひとつを説明(せつめい)しようとも、納得(なっとく)させられないだろう、こいつは。
だから俺(おれ)は嘘(うそ)をつくことにした。
朋也(ともや)「実(じつ)はな…」
春原(すのはら)「なんだよ」
朋也(ともや)「あいつの家(いえ)な、パン屋(や)なんだ」
春原(すのはら)「それがどうしたんだよ」
朋也(ともや)「それがな、ものすごくイケてるパン屋(や)なんだ」
朋也(ともや)「雑誌(ざっし)やテレビにも取(と)り上(あ)げられたことがある。それ目当(めあ)てで遠方(えんぽう)からも客(きゃく)が訪(おとず)れる」
朋也(ともや)「俺(おれ)も食(く)ってみたが、これがやたらと美味(うま)いんだ」
春原(すのはら)「へぇ」
朋也(ともや)「あいつと仲良(なかよ)くしておくと、そのパンが食(く)い放題(ほうだい)なんだ」
春原(すのはら)「マジかよ…」
朋也(ともや)「ああ。気(き)さくな親御(おやご)さんでな。あいつの友達(ともだち)はパンが無料(むりょう)で食(く)い放題(ほうだい)なんだ」
春原(すのはら)「へぇ…そんな裏(うら)があったのか」
春原(すのはら)「確(たし)かに。おまえがあんな地味(じみ)な女(おんな)を気(き)に入(い)るとも考(かんが)えにくかったからな…」
朋也(ともや)「まぁな。俺(おれ)にはあいつが歩(ある)くパンに見(み)えるってわけだ」
春原(すのはら)「ふむふむ、なるほどね…」
春原(すのはら)「よし、僕(ぼく)もその話(はなし)に乗(の)っていいか」
…しまった。魅力的(みりょくてき)に語(かた)りすぎた!
春原(すのはら)「いいだろ?
僕(ぼく)もご相伴(しょうばん)に預(あず)かりたい」
朋也(ともや)「駄目(だめ)だ。あいつはおまえが大嫌(だいきら)いなんだ」
春原(すのはら)「マジかよ、ちょっと会(あ)っただけなのに?」
朋也(ともや)「金髪(きんぱつ)はゴキブリの次(つぎ)に嫌(きら)いらしい」
春原(すのはら)「これか…」
脱色(だっしょく)した前髪(まえがみ)を引(ひ)っ張(ぱ)る。
朋也(ともや)「あと、春原(すのはら)という読(よ)みにくい名字(みょうじ)も無性(むしょう)に腹(ばら)が立(た)つらしい」
春原(すのはら)「ほっとけよ!」
朋也(ともや)「まぁ、そういうわけだ」
春原(すのはら)「ちっ…まずは好(す)かれることからか…」
まだ諦(あきら)めていないようだった。
厄介(やっかい)なことにならなければいいが…。
0
seagull 最后编辑于 2009-08-03 14:06:34